教員になられた現在でも海浜事故の減少を目指して、休日には県内の海でライフセービング活動を通じて子どもたちに海の楽しさや危険を教えるボランティア活動を精力的にされているという15回生の太田実さんにお話を伺いました。【収録日:
2004年6月14日】
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―――ライフセービングを始めたきっかけは?
中学・高校と競泳をやってきて体育の教員になるのが夢だったので恩師の薦めもあり、日本体育大学へ進学しました。大学で水泳を続けようか迷っていたときに「ライフセービング部」があることを知り入部説明会に行ったわけですが、そこで言われた言葉が今でも忘れられません。
「あなたは愛する人を救えますか?目の前で家族・恋人・友人を助けることができますか?」
救急法や救助法を学ぶことで目の前でどんな事故が起こっても、苦しんでいる人に最善の処置を施すことができるということと、それまで自分が頑張ってきた水泳を活かせるということでライフセービングを始めることにしました。 |
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※各写真の上にポインタを置くと説明が出ます。 |
―――実際にはどのような活動をするのですか?
ライフセービングは「救助活動」、「教育活動」、「競技活動」の三本柱です。
救助活動の為の練習として、週6回、プール・陸上・海において体力を向上するための練習や、実際に人が溺れた時の救助の練習をしました。また、座学の勉強会では三角巾の巻き方や、人の運搬の方法などの救急法・救助法を学びました。
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大学時代、毎年の夏場は約40日間に渡って関東の海辺などで監視活動を続けていました。1年目は千葉の飯岡と鴨川で、2年目には東京の南の神津島という島で、3、4年目は再び千葉の鴨川の海辺で監視活動を行っていました。 |
いざという時のために救助法を習得するわけですがやはり一番重要なのは事故を未然に防ぐということです。ですから自分の担当している海では絶対に事故を起こさせない、と強く意識していました。
長い夏の監視活動を無事故で終えて、監視員みんなで「お疲れさまー」と言ったあとで改めて海で楽しく遊んでいる子どもたちの笑顔を見ると本当に嬉しく思います。 |
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―――教育活動としてはどのようなことを?
特に子どもたちというのは小さな頃から海の楽しさと危険性を学ぶ必要があるのでそういうことを教えるボランティア活動もしています。
例えば、「海にゴミを捨てたらそのゴミで足を怪我しちゃう人がいるから絶対にしちゃいけないよ」、「一人で海で遊ぶのは危ないからお父さんやお母さんといっしょに遊ぼうね」、と呼びかけをします。
また、海辺にいる親子をを呼び集めて紙芝居を読むこともありますね。 |
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もちろん、監視員の存在も知ってもらわないといけないので「何かあったら赤と黄色の帽子をかぶったお兄さん・お姉さんを呼んでね」と子どもたちにも自分たちのことを紹介しておきます。
子どもたちが小さい頃から海の楽しさと危険性をしっかりと学んでおけば将来的にも海辺での事故は少なくなっていくのではないかと思っています。 |
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―――「三本柱」の三本目は競技活動ですね。
「競技活動=生命を救うスポーツ」だと考えています。
速く泳げるということは早く救助に向かうことができるということです。また、浜辺で速く走れればそれもまた同じことが言えます。
ですから「競技のナンバー1=レスキューのナンバー1」と言っていいと思うんですね。競技大会への参加は夏の監視活動の目標を見失わないための活動の一環として行っていました。
ライフセービングの競技大会で勝つということは人命救助を早く正確にできるということですからとても嬉しいです。でも実際に海辺で人命救助をするということはその事故を未然に防げなかったということですから、やはりライフセーバーとしては恥ずかしいことになってしまうんですよ。 |
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―――実際に監視員として人命救助などをされたことは?
ありますね。
当時は監視活動の時間帯が午前9時から午後5時だったんですね。でもその時間帯以外にも海に入りに来るお客さんはいるわけです。事が起きたのはやはり監視時間帯以外の早朝だったんです。
その日は台風の数日後でまだ潮の流れが強かったんです。監視本部の指示を受け、「5水(水温・水流・水質・水底・水深)」の調査を行っているときの事でした。ふと目に留まったのは沖に浮かんだブイ(遊泳範囲の目印)に掴まっているお父さんでした。
近くには浮き輪に入った子どももいて、ちょっと様子がおかしいな、と思ったんです。それで私が泳いで近づいてみるとそのお父さんが小声で「助けて」と言うんですよ。 |
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「これは事故だ」、と思ったので「事故発生」の合図をするため、その場で思いっきりホイッスルを鳴らしました。すぐに救助するため、レスキューチューブをお父さんの体に巻き付けて、浮き輪に入っていた子どもさんといっしょに引っ張って、足のキックだけで浜に泳ぎ着こうと思いました。途中、波も押し寄せて来るのでその親子にうまく呼吸をさせ、励ましながら浜に向かいました。
暫くしてホイッスルを聞いて駆けつけてきてくれた応援も加わり、なんとか救助に至りました。その間、3分くらいだったと思いますけど1時間にも2時間にも感じました。
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海が好きで遊びにきてくれたんだから、その人たちの笑顔を絶対に消したくない、と必死にレスキューをしました。無事、浜に帰り着いたときには本当に涙が出ました。
子どもさんは大丈夫でしたがお父さんは海水を飲んでしまっていたようで呼吸が弱くなっていました。沖まで行ったは良かったけど潮の流れが強く、途中で海水を飲んだかして衰弱し、そこで身動きがとれなくなり、あえなくブイにしがみ付いていたのだと思います。 |
後日、お母さんを含めその家族が監視所にお礼を言いにきてくれました。最後にその子どもさんが「来年また来るねぇ」と、いっぱいの笑顔で言ってくれたんです。その笑顔が今でも忘れられません。
ライフセービングで一番良かったこと、それは自分の持っている力を他人の笑顔に変える優しさを学べたことですね。 |
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―――話は変わりますが、教員としてはどのような教育指導を?
「一生懸命やれ」
勉強でも部活でも、自分のやりたいことでもいいから一日の力を使い果たしてくたくたになるくらい何でも「一生懸命やれ」ということですね。
私は高校入学後の課題テストの順位が320人中319番で、1人は欠席だったんです。というわけで私は学年ビリで入学したことになります。それでも生徒には「何でも一生懸命やれ」と言っています。付け加えて、「私は勉強は得意じゃなかったけど一生懸命頑張ってきたから今こうしてみんなの前に立って教えているんだから」と。
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「思いやりの気持ちを持て」
極論ですがテストで100点を取るけど周りに冷たい人間よりも0点だけどクラスの人気者の方が絶対に良いと思います。現実社会に出ても他人の気持ちを理解して人と上手に打ち解けていける人間になってほしいですね。
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「常に笑顔で生きろ」
普段から笑顔を絶やさずにいれば元気が湧いてきますよね。挨拶をしっかりして、そして笑顔で過ごすことが大事だと思います。
体育の授業でも始まりの挨拶の声が小さかったら何度でも「お願いします!」のやり直しをさせていますし、自分自身も生徒に負けないような声で補強運動などの号令をかけています。
保健の授業でも楽しく明るく元気よく、そんな授業を心掛けています。 |
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―――最後に一言、お願いします。
中学の頃からなんですが大事にしている座右の銘があります。それは「顔晴」という言葉です。「がんばれ」と読みます。意味は常に笑顔で前向きに努力すること。顔が晴れる、ということは笑顔でいるということですよね。
また、人生はサイコロの「目」に例えられると思うんです。サイコロはどのようにも転がっても必ず「目」が出ますが、人間も失敗をして転んだとしてもそれはプラスの「芽」となって出ているわけです。そして「顔晴って」いればその芽が成長していつしか綺麗な花が咲くということです。ですから目の前のことに一生懸命取り組んで、いっしょに「顔晴って」いきましょうってことですね。
以上が特に今の生徒に送りたい言葉です。
―――どうもありがとうございました。(インタビュア: 成瀬智仁 17回生)
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