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酒井 秀彰 さん



フィンスイミングで一躍有名になり、秋の世界選手権を目の前に
控えられた酒井さんにお話を伺いました。(収録:2004年7月22日)


--- 酒井秀彰 Hideaki Sakai---
5歳から大学1年まで競泳に励み、ジュニアオリンピック、全国ブロック大会などに出場。大学3年の冬にフィンスイミングと出会い、競技を初めてわずか半年(デビュー2戦目)で日本代表入り。1年後には50mアプニアで世界ランキング5位となる。2003年アジア選手権大会では日本人最多となる銅メダル4個を獲得。現在はスプリント6種目で日本記録を保持し、日本最速の称号を得ている。フィンスイミングの普及活動、指導者の育成、ユース日本代表のコーチを務める。日本体育大学大学院2年。一宮市出身。23歳。


--- フィンスイミングとは ---

足の先にフィン(ひれ)を付け、体を上下にうねらせて泳ぐ競技。
50mを14秒ほどとスピードが出る。主な種目は以下の通り。

◇ サーフィス(水面泳)・・・身体の一部を水面に出して泳ぐ
◇ アプニア(息止泳)・・・息継ぎなしで水中を泳ぐ
◇ イマージョン(水中泳)・・・スキューバ器材(空気ボンベなど)を使用し、水中を泳ぐ

フィンスイミングの紹介(日本水中スポーツ連盟)

足にフィンを付けている酒井さん


--- フィンスイミングを始められたきっかけは?

高校卒業後、教員を目指していたので日本体育大学に進学し、部活は競泳で1年生からレギュラーになれて大会にも出場しました。でも、その頃は部活ばかりで大学の勉強も全然していませんでしたし、だんだんと自分の中で「やりたいことと何かが違う」と思うようになったんです。実際にレギュラーを掴んで試合にも出られて一通りのことはやれたので競泳に対する情熱は次第に薄れていき、それで13年間続けていた競泳をやめたんです。

フィンスイミングとの出会いはそれから2年ほど経った大学3年の冬のことです。偶然にも競泳時代の先輩が大きなバッグを持っていたので「「何かな?」と思ったら中にはフィン(ひれ)が入っていたんです。縦横80cmのかなり大きなものでしたね。それで、その先輩からフィンスイミングについての話を聞いているうちに興味が湧いてきて、競泳で足りなかったものを見つけようという気持ちで始めてみました。


--- 競泳をやめられてから、かなりの間がありますね?

そうですね。競泳をやめてからフィンスイミングに出会うまでの2年間は全く水に入っていなかったんですけど、逆にその期間がなければ今の自分はないですね。何をやっていたかというと色んなスポーツです。雪山にこもってスキーをしたりスノーボードをしたり。今思えばそういったスポーツがものすごくバランス感覚を養ってくれたんだと思いますね。

あるときアルバイトで水泳を教えようとスポーツジムにも入ろうとしたんですけど、そのときは求職している人が多かったのか、希望していた水泳の方では採用されなくてマシンジムの方で働くことになったんです。なんで水泳で採ってもらえなかったんだろう、と思いながら入ったんですけど入ったら入ったでそれまで知らなかったウエイトトレーニングの知識などをそこで学ぶことができたんです。自分自身でも筋力トレーニングをし始めるようになったんで、だんだんと身体が変わっていきました。

また、誰が一番早く100kgのベンチプレスを持ちあげられるかをジムのスタッフ同士で競争したこともありましたね。最終的にはその勝負でトップになったんですが、初めのうちは勝負していた中で最も重量をあげられなかったんですよ。
インタビューに答える酒井さん

とにかく、ジムでは自分から学ぶことを知りましたね。「これをするためにはどの筋力を鍛えたらいいのか」ということなどを自分で調べて実践するようになりました。 競泳をやっていた頃は自主的にすることなどなかったんで、水泳より断然パワーが必要なウエイトをしてきたお陰で水の中で戦える身体が出来上がりました。身体が大きくなったので競泳時代に着ていた服が切れなくなってしまいましたが、全く水に入っていなかったその2年間は自分にとって本当に貴重なものだったと思います。


--- 実際に競技を始められてからは?

大学4年の6月にデビュー2戦目となる日本選手権に出て、これが最初で最後の日本選手権だろうと思って軽い気持ちで臨んだんですが世界選手権の選考がかかった試合でコンマ差で2位に入ることができ、日本代表入りを決めてしまいました。

世界選手権に行く前にうちの監督が、「世界の場では色んなものを吸収できるから大会期間中にも記録が伸びる」と、言っていたのをよく覚えています。

そして2002年9月、ギリシャでの世界選手権では個人1種目とリレーに出場しました。大会最終日6日目のリレーではついに自分自身の力を超え、監督の作った日本記録のラップタイムまでもう一歩のところまでに迫り、監督の予言した通りに自己記録がこれだけ伸びたのには本当に驚きました。6日間の大会の間に一気に3秒くらい上がりましたね。


--- 世界選手権大会で記録が伸びた要因は?

やはり、世界の泳ぎを間近で見てそれを吸収したことでしょうか。あとは、ほんの少しの勇気と賭けでしたね(笑) というのはリレーで使ったフィンは前日に大会で購入したものだったんです。慣れていないフィンをレースでいきなり使うのは常識的にはあり得ないことなんですが、試しにフィンを使ったときのフィーリングがとても良かったので自分の感覚を信じてそれで泳ごう決めました。これがなければあのリレーでの大化けは全くなかったと思いますね。


--- 世界選手権に出場してから変わりましたね。

アジア大会で銅メダルの酒井さん(右)
フィンスイミングを始めた当初は「監督のようなすごい選手にはなれないだろうな」と決め込んでいましたが、世界選手権のリレーで監督の記録に手がかかったので、大会が終わってからは記録更新を目指してフィンスイミングを続ける決意をしました。

その決意のもと、2003年2月の東海大会では狙っていた種目と違う種目でしたが日本記録を出し、同じ年に韓国で行われたアジア選手権では個人全種目3位で日本人男子唯一の銅メダルを獲りました。


--- 今後、目指すものは?

やはり世界選手権ですね。銅メダルを獲った2003年のアジア選手権も世界へのステップとしてしか見ていませんでしたから、現在も世界選手権のことしか頭にありません。

日本人選手はこれまでの世界選手権で決勝に残るものの、メダル獲得がまだ一度もないんですよ。ですから、今大会では世界との距離を縮め、この競技を広めるためにも日本人初のメダルを狙います。
日本選手権3連覇達成(2002〜2004)


--- さて、お話は変わりますが興道での思い出は?

球技大会ですね。友達と賭けていて・・・、あ、やっぱりこのお話はやめましょう(笑)

とにかく3年生の夏ですね。当時は水泳部に入っていてインターハイを目指して頑張っていたんですけど、大会1週間前の球技大会で張り切りすぎて指を怪我してしまったんです。先生からは「何でも一生懸命やるのはいいけど考えてやれっ」と言われました(笑) でも、学生の頃はみんな球技大会みたいな勝負事に手を抜かないでしょう?自分としても手を抜くのは相手に失礼だし嫌だったの怪我のことはしょうがないかなって納得していました。それでも指が完治してない状態で何とか東海大会にぶっつけ本番で出て競技の途中までは良かったんですけど、やはり体力が落ちていてラストで沈没しました(笑)

ほかには修学旅行のスキーが楽しかったですね。あれは本当に楽しかった。
思いつくのは学外活動ばかりです(笑)


--- 最後に、在校生に一言お願いします。

必ず夢を持って下さい。諦めなければそれはきっと叶います。また、せっかくのチャンスも前を向いていなければ気付くことができません。しっかり前を向いて夢を持って生きていってほしいですね。
『人の足を止めるのは絶望ではなく諦観、人の足を進めるのは希望ではなく意思』


--- どうもありがとうございました。(インタビュア: 17回生 成瀬智仁)









2004年10月、中国上海で行われた世界選手権大会の結果報告を
酒井さんから頂きましたので、これまでの戦績とともに掲載します。
(追加:2004年11月7日)


世界選手権では日本記録を更新し、日本人男子では最高位でしたが目標に届かず悔しい結果になりました。100mサーフィスでは日本人初の40秒カット(39秒69)の日本新記録を作ることができ、これでやっと世界のスタートラインに立てた気がします。世界のレベルが上がっている中で、自分に足らないものも見つかりました。今後の目標は飽くまで世界最速です。

また、まだ内定は出ていませんが、2005年にドイツで行われるワールドゲームス(オリンピック種目でないオリンピック)に出場できそうです。この大会は日本代表になれば出場できる大会ではなく、今回の世界選手権で上位ランキングに入った選手しか選ばれない大会です。いわば世界のフィンスイミングの代表として出場することができる大変名誉なことです。

もし選ばれたら、まずはそこでリベンジしたいです。2005年秋には日本で開催されるアジア選手権もあるので世界最速の前にアジア最速に!君が代を聞きながら日の丸を一番上に!


-- 世界選手権(2004年10月 上海) --


※クリックで拡大写真をポップアップできます



--- スプリント6種目で日本記録を保持 ---

2002.6 日本選手権

優勝
2002.9 世界選手権
(ギリシャ)

4×100m サーフィス リレー・・・9位
2003.2 東海大会 優勝
アプニア 50m・・・
日本新

2003.9 アジア選手権
(韓国)

個人全種目3位銅メダル
イマージョン 100m・・・
日本新
2003.10 短水路選手権 優勝
サーフィス 50m・・・
日本新

2004.3 関東オープン

アプニア 50m・・・日本新
2004.5 日本選手権 優勝
アプニア 50m・・・
日本新
サーフィス 100m・・・
日本新
イマージョン 100m・・・
日本新

2004.10 世界選手権
(中国)
アプニア 50m (10位)・・・日本新
サーフィス 100m・・・
日本新
イマージョン 100m (14位)・・・
日本新



表彰台にて(2004年 日本選手権)
2002年度 最優秀新人選手賞(MVP)
2003年度 最優秀選手賞(MVP)
2004年度 日本選手権最優秀選手賞(MVP)

日本水中スポーツ連盟
フィンスイミングの紹介、水中スポーツの記録など

メダリストジャパン
酒井さんの詳しい記事はこちら



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